思い出も愛するひとも、いつまでもそこに在りはしない。あなたと生きた日々
『妻が願った最期の「七日間」』宮本 英司(著)単行本(サンマーク出版)
妻が願った最期の「七日間」:概略
延命治療は、しないでね。
人工呼吸器、胃ろう、心臓マッサージ、やめてくださいね。
できるだけ、痛くない、つらくない、治療を選んでください。
私は、残念だけれど、小春とあなたを置いていくけれど、
天国で待っていますからね。ゆっくり来てください。
もしあなたがいない時間に私が死んでも、
あなたと関わってきたそれまでの時間が大事なのだから。
突然何があっても、私はあなたに感謝し、ずっと愛して、
(2016年8月31日の日記より)
妻が願った最期の「七日間」:みどころ
PART1 50年目の交換日記
あなたにノートを貸してから、春休みがきて、
あなたは故郷の岐阜に帰ったのですよね。
そして突然、あなたから手紙がきました。
ノートを借りたお礼と、岐阜の鵜の小さな木彫りの置物が入っていました。
私は、びっくりしたけれど、嬉しくて返事を書きましたね。
それから、少しずつ話をするようになったのでした。
(本文p28より引用)
Twitterで拡散され話題を呼んだ、あるご夫婦の物語が、
小さな新聞記事に綴られた奥さま、容子さんの闘病のすえ願った『
あの詩が生まれるに至ったご夫婦の背景、出会いから別れまでが、
- 結婚50年目の交換日記のような、文章での対話形式
- 奥さまである容子さんの闘病中の日記
- 旦那さまである英司さん視点の夫婦についての思い
という形で構成されています。
お二人の出会いは早稲田大学構内で、
若い頃のお写真が結婚式を挙げた時のもののみで、
いわゆる電撃的な、
そうして卒業、就職と運び、その間にも同棲、結婚、出産、
多くの夫婦も経験しているであろう、平凡な夫婦・
18歳で出会って50年目の年、容子さんからの持ちかけで【
次の日、軽井沢に向かう電車で、
2人の性格が違うことを実感したことを覚えています。
発車まであと数分しかないときに、あなたが新聞やお菓子をホームの売店で買ってくると言って、 席に座ってる私を残して電車を下りてしまいました。
「遅れないでね」と言ったにもかかわらず、ドアが閉まっても、あなたは席に戻ってきませんでした。
あわてましたよ、私。
すると、ニコニコしながら、別の車両から乗り込んで、ゆっくり歩いてくるあなたの姿が……。
この、のんびりさと、私の慎重でせっかちな性格とが、ずっと、お互いを助け合うこともあり、ぶつかり合うこともある……と、 かすかに予感させたプチ事件でした。
(本文p49より引用)
社会人3年目の、25歳で結婚されたお二人。
容子さんは高校教師で、英司さんは山崎製パンの社員。
学生時代と違って、
新婚旅行先である、
慎重でせっかちだという容子さんを尻目に(?)
夫婦って確かに、
凄く分かるなぁと思ってうなずきながら読みました笑
うちは主人がしっかりしていて私が詰めが甘いのにせっかちなので
よその夫婦も似たところがあるんだなぁと微笑ましく思いました。
PART2 病が夫婦を変えてゆく
2016年9月9日
私が癌になったことで、あなたの人生を大きく狂わせてしまいましたね。
拓にも圭司にも、つらい思いをさせています。
まわりをとっても不幸にして、申し訳ない思いでいっぱいです。
でも、こればかりは選べない人生でした。
癌になりたくなかったのは、私自身が一番思っています。
「こんなにおかあさんに尽くしているのに」という言葉が、箱根に行く前の日にあなたの口をついて出たとき、あなたは、 とてもたくさんのことを我慢して、つらい毎日なのだと思い、 なんだか生きていて申しわけない思いになりました。
ゴルフにも行けない、働いたお金を毎月5万円も私のために出さなければならない、 自由に遊ぶことも落ち着いてできない、 そんな積もり積もった思いが、あの言葉になったのでしょう。
私が死んだら、嫌味ではなく、自由に残りの人生を楽しんでね。
ごめんね。本当に。
(本文p94、95より引用)
それまでごく普通の、一般的なご夫婦、
事務的に告げられた余命宣告では平均で2年。
手術で取り除いても、取り切れないガン細胞は残ったため、
【二人の物語】は一旦脇へ置き、
死ぬことへの恐怖、
生きることへの執着、希望、
副作用の苦しみ、
不安、哀しみ、
そして何より、愛する家族への思い。
一番身近で心を許しているからこそ、愚痴や弱音がこぼれ、
病気で苦しい時は、
病に立ち向かい続けた容子さんと英司さん、そしてご家族。
容子さんが日記とともに綴った詩、
死期を悟ったからこそに願った、【最期の七日間】
PART3 それぞれの思い
(中略)
もしあなたがいない時間に私が死んでも、決して後悔しないでくださいね。
あなたと関わってきたそれまでの時間が大事なのだから。
突然何があっても、私はあなたに感謝し、ずっと愛して、幸せですからね。
(2016年8月31日の日記 )
(本文p116より引用)
辛くて辛くて、生きている事が苦しくなった時もあった容子さん。
あの言葉よりも先に書かれていた日記には、
【これから】を生きられないと分かっていたからこそ、
だけど、
【いままで】のことがあったからこそ、
病に蝕まれながらも容子さんの胸には、
最後の章として【夫婦について】綴った英司さん。
上記の容子さんの日記を没後に読まれたそうで、
夫婦というのは身近にありながらも…
容子さんは英司さんの思いに触れる機会を得ることはありませんで
あの小さな投稿欄の記事からも伝わるように、
最期の刻に思うことが、家族であったり妻や夫という、
と強く思える物語でした。
いつまでも側に置いて置きたくなる、
妻が願った最期の「七日間」:感想
Twitterで回ってきた新聞記事を見たのをきっかけに、
奥さんである容子さんの、最期に【七日間の時間が欲しい】
18歳で知り合って52年間連れ添った夫婦の間には、
- 家族に美味しいご飯を作りたい
- プレゼントを用意したい
- 女子会もやってみたい
- だけど最後の七日目はやっぱりご主人と静かに過ごしたい
という、周囲を愛し、
幸せな日々を旦那さん・ご家族と歩んで来た容子さんだからこそ、
育児もひと段落して、これから、という時に、、
だけど文中で彼女は、『大変だったのはあなたよね』
病に負けないように周囲も気遣いながら、時々葛藤して、、
祖母、義父、祖父との相次ぐ別れ、
ページをめくっては今までの主人との出会いや歩みに思いを重ね、
ドキドキしながら読ませていただきました。
同じような境遇にある方、また、結婚して家族の増えた方、
これからどんな人生を歩んでいくのか、
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