過去、現在、未来。教育のゆく末とは?

2017-09-27

『子どもは若殿、姫君か?』川嶋 優(著)ディスカバー携書(ディスカヴァー・トゥエンティワン)

【概略】

太陽が東から昇るのを知らない子どもたちと、満月が東から昇るのを知らない母親たち。

お辞儀を知らない子どもたちと、わが子に敬語を使う大人たち。

いったい日本はどうなってしまったのでしょう。

いつのまにか、とんでもない国になってしまいました。

この数十年間、誤った教育をしてきたことのつけが、いま回って来ているのです。

だから、たいへんなのです。

家庭でも、学校でも、そして、企業でも。

いますぐ本物の教育・育児を取り戻さなければなりません。

ーー皇太子殿下恩師にして元学習院初等科長による共感と波紋の完全書籍化。

(裏表紙より引用)

 

【みどころ】

PART1:現代教育の“問題点”とは?

現在、教育界にばっこする誤った4つの教育方針

  1. 子どもの個性を大切にしよう
  2. 親の価値観を子どもに押しつけるな
  3. 教えないで考えさせよう
  4. 叱らないで躾けよう

(はじめにより引用)

「教育界に跋扈する誤った4つの教育方針」としていますが、個人的にはどれも本質を理解した上で大切にした方がよい価値観では?と感じています。

教育の現場に全く詳しくないまま綴りますが、「個性」を尊重すべき子どもも存在する訳ですよね。

その子の特性(≒個性)を把握した上での目のかけ方や学習指導方法がある筈だと考えているからです。

千葉リョウコさんの、「うちの子は字が書けない」に登場するフユくんの様に、教師さえも気付かずなかなか認知されていない「発達性読み書き障害(ディスレクシア)」の子も普通学級で生活しているとなるとこの方の論調の様に、「個性は大切にしなくていい(=子どもに合わせた配慮は不要)、大人の価値観を押し付けて良い、正しい物事をすべからく教えてやるべき、出来ないことに関してドンドン叱るべし

だと学校生活が困難になる児童・生徒が出てきます。

前述のフユくんも、周りの配慮が足りないことで苦境を強いられます。

字が書けないことが理解されないことの根底には「書けて当たり前」という観念が頑として鎮座しているからであり…

よく、うつ病等精神病患者に対し「昔はそんな病気の人間は居なかった」と言う人がいますが、存在していなかったんじゃなくて認知されていなかったという言説もあります。

それが分かり配慮する時代に変わってきたことは大きな進歩ではと思っています。

子どもに対してもそれは同じことで。

「個性」と「特性」はまた概念や問題が異なるかも知れませんが、一人一人がもつ身体的・精神的差異をまったく無視した教育は如何なものかなぁという印象を受けました

親・教育者である大人が従前持つ価値観を疑う姿勢、子どもといえどいずれ社会の一員となることを踏まえた長いスパンでの指導、言う事を聞かせる、言う事を必ず聞く子が良い子であるという論調には、子どもへの愛というより御し易いという思惑が透けて見えるような…。

「価値観の押し付け」に関しては一理あると取れる文章もあります。

 

「(中略)だから、臨界期に入る前の子どもたち、親が自分の価値観を押しつけることを恐れる必要はありません。
ほんとうの個性、その人なりの価値観というのは、大人たちから押し付けられていたその価値観を子どもが乗り越えていく過程のなかで生まれていくものなのです。」
(本文P.93より引用)

常識、慣習、しきたり、決まりごとなど既存の概念を押し付けられ“思考の材料”を蓄えた頭で価値観や常識を疑い乗り越えていく(新しい概念を生み出す等)という考え方は頷けると感じました。

発想のタネがないと閃きようがないのと同じこと。

 

PART2:現代は子を若殿、姫君として扱う

書籍タイトルと概略からして、少し全時代的かつ突っ込みどころの多い本です。

記事にする本を探していたら目に留まったので読みましたがあまりに酷い。

『皇太子殿下恩師、元学習院初等科長』

著者の肩書きは凄いのですが、一貫して根拠・データに乏しいというか皆無の論調が続きます。

「これは良くない」、「あれはダメ」だという主張が始終するのですが、それについて何故マズイのか掘り下げている記述はなし。

あくまで著者の価値観、経験論、美意識で語られています。

形式が「講演の書籍化」なので流れる様に喋り、一つ一つが浅く終わるのも無理ないのかも知れませんが。

せめてそれを受け取る子どものリアクション(今までやってきて成果のあった方法や改善されたエピソードなど)があれば良いのですが無し。

あって講演会に参加した親、元教え子のリアクション。

対大人と対子どもでは反応がまったく異なると思うのですが、その辺には触れていません。

2007年刊行の本なので10年前になりますがもう少子化ではあった日本。

子どもが大事にされて当たり前というか仕方ない(というと語弊がありますが)時代ではあります。数が少ないのですから。

ゆえに親・教育者が謙ってやむを得ない場面も出てくるのもある程度は頷ける

子どもの人間性を軽視した発言や体罰など許される時代ではないからです。

それを甘やかしと捉えるか否か個々の価値観に委ねますが。

首を捻る論調は他にもあって、

  • 日本人は世界でも有名な勉強好き
  • 苦手なことは人の数倍やればいずれ出来るようになる
  • 親子は傷つかないから子どもにどんどん小言、文句を言うこと

寺子屋の起源は1690年以前、寺院での学問指南がそれにあたる。

主に上方、江戸など都市部で広まり、1830年頃には実践的な学問の指南の需要が高まり、農村や漁村にも普及したと言われています。

社会が進むにつれ意識の改革がおこり、必要に応じて普及したと考えれば、“勉強好きだから寺子屋があった”という主張は疑問を持たざるを得ません。

長所を伸ばして短所を目立たなくさせるなどの処世術が一般化する中、苦手なことは幾らやっても習得できないこともあるし、親子間でどんどん厳しく物を言っても傷付かないというのは欺瞞です。

親が子どもに遠慮していたら本気で叱れないというのは分かるのですが、だから何を言っても構わないと捉えるのは早計です。

近年のデータでは“愛情”のもとに、有無を言わさず子どもの意に介さない価値観を押し付けたら子どもは反発か無抵抗になることが分かっています。

 

PART3:参考にしても安全なポイント

「質の良いことを教えるためにいま、いちばん勉強しなければいけないのは、親と先生です。
子どもに、良い知識、良い道徳心を勉強しなければなりません。」
(本文P.59より引用)

ある時アルバイト先の先輩主婦が、「いくら叱っても、中学生の子どもが勉強しなくて困る」と嘆いていたことがありました。

勉強を見てやったりするのか聞いたら、子どもが宿題などやってる側でスマホを弄っているかお菓子を食べるかテレビを見ているそうです。

子どもの勉強は本人か学校に任せっきりにしていたら、3者面談で高校受験すら危ういと先生に言われたとか…。

親が読書や勉強といった教養を重んじていない姿勢を子どももよく見ているわけですから、自分がやっていないことを強いてくる言葉を素直に聞くとは思えませんでした。

引用文の、「良い人間を育てたいと思えばまず自らを律せよ

と取れる言葉にはとても説得力があるように思います。

その他にも、

  • いざとなったらすがり付けると思える人を周りにつくる
  • すがるところを何も持たない子どもは情緒不安定
  • 叱るときは毅然と、叱っていないときはベタベタに可愛がる
  • 「夫婦仲良く」が子どもにとっての何よりの環境

「いざとなったら頼れる、すがりつける」人を周りに置くというのは大きな心の拠り所になります。

判断を仰ぐとき、相談に乗ってもらうとき、面を汚さないように…など、重要な局面で力になってくれる人の存在というのは人生を前向きに生きる力になります。

そういう人が自分にもいるか考えたとき、まずは両家の親、そして夫、信頼の置ける友人が思い浮かびました。

子どもにとってもそういう存在で在りたいと思える考えです。

すがることの出来る人が不在した人は無縁となり生きる力自体も弱くなります。

現代社会自体が既にそういう傾向にあるのですが、これからを生きる子どもたちにとって自分たちはどうあるべきなのか、考えてしまう内容だと感じました。

乳幼児期からしっかり甘えさせ(要求に答える)可愛がって信頼の土台を形成し、その上で教える・叱ると子ども信頼関係がより強くなる事が分かっているそうです。

 

【感想】

薄くて内容が少ない上に話し言葉で書かれているのでサクサク読めました。

帯の煽りを受けて購入した様な気がしますが、前時代的主張に目を丸くし、現代教育批判を展開したのち今後どうするか?現代教育の中でも評価できる価値観などという主張はなく、ひたすら今はダメ・昔は良かった、という論調です。

著者の意に介さない主張であっても見聞きするなどの関心を持つとか勉強するとかが、主張にもバランスが出るのでは?と感じました。

「お辞儀を知らない子ども」に対して日本はどうなってしまったんだ?という感想を持つのは同じ日本人として分かるのですが、その子がお辞儀の意味合い・使うべき適した場面を鑑みた上でするしないの判断をもししているとしたら十把一絡げに批判は出来ないとも言えます。

電話しているサラリーマンもそうですが、電話口の相手に対しペコペコしている人をよく街中で見かけます。

日本人にとっては当たり前で安心する・違和感の無い光景だったとしても海外からは「なぜ見えない相手にペコペコしている?」と不思議がられていたりします。

それを受けて今まで通りに、「日本人ならお辞儀が出来てしかるべき」とも言えなくなってくるのではと感じたりします、個人的には。

人材育成にはその国独自の伝統的価値観を備えさせるのも重要、それに対し当人が疑いの目を持つことも悪いことだと思わないし、他国の言語や価値観に理解を示せる感性も非常に重要。

そういう人間を育てて、日本だけでなく他国も含めた良い世界にしていく信念を持つことが、今後は親・教育界に重要なのではと考えます。

日本が変わっていくことに恐れや拒否反応を示す声はありますが、言葉も価値観も常に移ろいゆくものであるから、都度何が好ましいかを考え続け刷新していくことは欠かせない行いだと思っています。

そういう意味では反面教師的本かも知れません。

しかし書き散らしている要素が強いので、同じ論調なら他を当たった方がより勉強になる気がします。

 

 

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